キリストの使徒たちが伝えた と伝承されている 『使徒信条』は、西方教会(カトリック教会、聖公会、プロテスタント)における基本信条のひとつです。正教会などの東方教会では信条としては受け入れていない。(否定はしていない) 使徒信条の原型は、2世紀後半にローマにて、洗礼を受ける者の信仰告白を規定するものとして教会が定めたものでした。
  キリスト教会の3大憲章: 「十戒」、「主の祈り」、これらは聖書の一部ですが、「使徒信条」は、福音、聖書のメッセージ全体について、「教会」が信じているところの要約の告白となります。



    使徒信条(しとしんじょう)

1:  我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
2:  我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
3:  主は聖霊(せいれい)によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生れ、
4:  ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、
5:  三日目に死人のうちよりよみがえり、
6:  天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり、
7:  かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審(さば)きたまわん。
8:  我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、
9:  聖徒の交わり、罪の赦し(ゆるし)、身体(からだ)のよみがえり、
10:  永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。 
   アーメン。



  【各項の説明】:

  1: 天の父なる神は、万物の創造主であり支配者です。実は、御子イエス様が御父と共に世界を創造されました。(箴言8:27−31、ヨハネ1:3、コロサイ1:15−17、ヘブル1:1−3)


  2: 御子イエス様は、ひとり子の神です。御父 に対して、ひとりの子としての存在です。天地が創造される永遠の初めから、御子イエス様は、御父と共におられました。(ヨハネ17:5) 御子イエス様は、「神のことば」、神様は、「言葉の神」です。(ヨハネ1:1) → キリストの根源的ご性質


  3: 聖霊様によってイエス様はマリヤの身体を通して、配偶者のDNA無しに お生まれになりました。この「聖霊によって」(マタイ1:20)は、イエス様が”神の第二位格”であるにもかかわらず、降誕のみならず、イエス様の全生涯を通して、あえて聖霊様により頼んで すべてのわざをなされたことに一貫しています。(ヨハネ5:19)
  また、イエス様の(肉の)母として選ばれたマリヤは、「恵まれた人」(ルカ1:28)、「祝福された人」(ルカ1:42)、そして「幸いな人」(ルカ1:45)でしたが、決して 崇拝されるような対象ではありません。神ではなく、人です。


  4: イエス様の十字架こそ、全歴史の中の 神様の中心目的です。 「義人はいない。一人もいない。」 アダムとエバの堕罪以来、すべての人は誰一人例外なくを犯しました。その罪に堕ちて 悪魔の支配下に落ちた全歴史の全人類に対する、神様の救いの計画が、この十字架によって成就しました。(ローマ総督のポンテオ・ピラトとは、”世の支配者”の象徴です。)
  この十字架の贖いによって、信じるすべての人々が罪の滅びから救われ、永遠のいのちを持つことになります。(ヨハネ3:16) そして、十字架上で、イエス様は、信じる人々の罪の贖い(=買戻し)を「完了(テテレスタイ(ギ)=「負債の完済」の意)」(ヨハネ19:30)されました。また、ご自身の十字架の死と引き替えに、信じる私たちに永遠のいのちを下さいました。
  信じない人たちに対しては、神のあかしを受け入れなかったので 永遠の滅びが定められます。
  また、十字架の死後、「よみ(シェオル)」に下られ、ノアの洪水のときに滅ぼされた霊たちに みことばを宣べ伝えられました。(Tペテロ3:19、20)

  * 広義の「よみ(シェオル)」には、「パラダイス」と 「ハデス」とがあります。 狭義の「よみ(=ハデス)」とは、贖われないで死んだ人のすべての霊が行く、一時滞留所で、そこの堕落天使らによって拷問が行われます。最後の審判の時には、そのハデスそのものも、「死」とともに火の池に投げ込まれます。(黙示録20:13)
   一方、「パラダイス」(ルカ23:43)とは、旧約時代の贖われた者が行く一時滞留所でしたが、イエス様の十字架の後には、直接 主のもとに(霊の状態で)行くようになったので、現在はそこは空です。 御子イエス様は、十字架の死後 このパラダイス(=アブラハムのふところ)に行かれ、福音を宣べ伝えられ、彼らの霊を引き上げられました。(ハデスやゲヘナに行ったのではありません。 ・・・ ケネス・コープランドの異端教理に注意
  そして今は、祭壇の下に、主の民の霊たちがいます。(黙示録6:9) イエス様の再臨に伴い、「彼らの霊を連れて来られ」(Tテサロニケ4:14、ユダ:14)、生き残っている人たちと共に「身体がよみがえり」(Tコリント15:51、52)ます。 その後は その「朽ちない体」で、地上の「千年王国」(黙示録20:4)に続いて、「新天新地」(黙示録21:1−)の天の御国の割り当てられた所で、主と共に永遠に過ごします。


  5: イエス様は十字架の死から3日目の朝に生き返られました。そして、弟子たちに現れ、また多くの人たちに現れたことが証言されています。「復活」の力こそ、神の本質的な力です。イエス様ご自身が、「いのちであり、よみがえりです。」(ヨハネ11:25)。「道であり、真理であり、いのちです。」(ヨハネ14:6) そして、「ただひとり天から下られ、最初に死人の中からよみがえられた方」、「初穂」です。
  そして、この「復活の力」は、すなわち、「しるしと不思議」の力、「再創造」の力、「御霊の賜物」の力と同じ性質の力です。真理は力です


  6: 弟子たちが見ている前で、イエス様は昇天されました。(使徒行伝1:9−11) 天に戻られたイエス様は、その偉大な従順のゆえに、父なる神の「」、すなわち、全権威を任されている地位(「右」= 支配・権威を表すユダヤの慣習の言葉)に就かれ、再臨までの間、天の新しい御国を建設されています。(ヨハネ14:2、3) 「地上でつなぐものが、天で つながれる」ように、この地上で行われた信仰のわざが、主によって評価され、そのまま天国建設の材料に成っていきます。


  7: 主イエス様が再び来られるとき(「再臨」の時、マタイ24:31、35)、終末の世を裁かれます。(黙示録19章) しかし、最終的なさばき(最後の審判)は、千年王国が終わった後、「大きな白いさばきの御座」 (黙示録20:11)にイエス様が就かれ、信じなかった者たちの霊は生前の行いに応じてさばかれ、火の池に投げ込まれます。(黙示録20:12−15)  しかし、信じて聖霊様を受けて救われた人は、御子イエス様の血によって完全にきよめられたので、さばかれません。「神は二度と罪を見ない。」 神様が良し とされれば、すべて良しです。


  8: 「聖霊様」は、「助け主」(ヨハネ16:7)、「真理の御霊」(ヨハネ14:17)、神の第三位格の人格神です。イエス様が天に昇られた後に降臨されると約束された、この方こそ、「地上で 私たちと共におられる主」です。
  イエス様を信じて救われた人々には、その「確証、保障」として聖霊様が与えられます。(エペソ1:14) 聖霊様を受けていない自称クリスチャンは、名だけのクリスチャンです。(ユダ:19)
  聖霊様は、「すべてを悟らせてくださる方」(ヨハネ14:26)なので、(誰にも教えられなくても)みことばの基本的な解釈はほぼ同じようになります。それは、ひとりの聖霊様だからです。(cf. 救われていない人の解釈は、リベラル派など、めちゃくちゃです。)

  「聖霊のバプテスマ」(使徒行伝1:8−)は、全人格のたましいを主にゆだねて力を受けることを意味し、主の証人としての主の働きのために必須です。また、聖霊様は、「預言」を語らせる方(使徒行伝2:17、黙示録19:10)、「御霊の賜物」を分け与えてくださる方(Tコリント12:11)です。
  必ずしも「異言」を伴うわけではありませんが、「救い = 信仰の道」を全うするためには「聖霊のバプテスマ」が必須です。「聖霊のバプテスマ」によって「新生する = 新しく生まれ変わる」ことができます。(テトス3:5、「新創造による洗い」)

  聖霊様は、救われた人の内側で静かに働かれるとともに、「聖霊の火」として激しくわざを行われます。そして、イエス様が模範を示してくださったように、私たちも、聖霊様に全面的に頼って、信仰の道を全うしていくように定められています。
  「権勢によらず、能力によらず、主の霊によって」(ゼカリヤ4:6)、実を結ぶ働きを行います。御霊の賜物によって「御霊の実」(ガラテヤ5:22、23)を結びます。私たちは、生涯において変わらない、主が与えてくださった「召し」と「賜物」(ローマ11:29)に、いかに忠実であったかが、後に主の御前に評価されます。

  また、「公同の教会」とは、英語で直訳すると”カトリック”となりますが、プロテスタント信仰の私たちは これを 現存の(世的な)カトリック教会とはとらず、神の前の 真の教会と解釈して、使徒信条の中で告白します。 (本来の)教会は、神様の恵みが満ち溢れているところであり、主の召しと働きが執り行われる中心的な場です。
  教会は、「使徒、預言者の土台」(エペソ2:20、= みことば という意味でもありますが、さらに、実際の使徒職、預言者職が教会形成の働きをします)の上に建て上げられ、イエス様が「頭(かしら)」であり、イエス様ご自身が 五役者(五職 = 使徒、預言者、伝道者、牧師、教師)を任命されます。(エペソ4:11)
  また、御父から教会に与えられた7つの奉仕の賜物 ・・・ 預言、奉仕、教える事、勧め、分与、指導、慈善(ローマ12:6−8)。
  これと、上記の 聖霊が与える9つの賜物 ・・・ 知恵のことば、知識のことば、信仰、いやし、奇跡、預言、霊を見分ける力、異言、異言を解き明かす力(Tコリント12:11)、 を比較すると、「預言」だけがこの3つのカテゴリーに共通しています。神の三位一体の中心点に「預言」があります。神は、「ことばの神」です。
  また、世の終わりの直前の時代には、異邦人の教会黙示録にある 7つの教会に大きく分類されます。そのトップには7人の御使いがいます。(黙示録2章、3章)(・・・”時代ごと”の解釈ではありません)


  9: 「わたしの名によって二人、三人集まる所にわたしもいる」(マタイ18:20) これは、本当の意味での「教会」でもあります。
  イエス様は十字架にかかられる前に、「新しい命令」として、「兄弟愛」を語られました。(ヨハネ15:12、17) クリスチャン同士の交わりの中に、神の愛と恵みが全うされるのです。「神を愛するならば、兄弟をも愛せよ」(Tヨハネ4:12、21)
  終末の艱難時に守られる教会の「フィラデルフィアの教会」(黙示録3:10)は、フィラデルフィアとは「兄弟愛」の意味です。(Φιλαδελφεια、フィロス=愛、アデルフォス=兄弟、ア=都市名につく語尾形) また、終末に「霊も、た ましいも、体も守れらる」(Tテサロニケ5:23)ように祈られているテサロニケの教会は、兄弟愛について模範的といわれています。(Tテサロニケ 4:9)
  「罪の赦し」は、赦さないと赦されない。信じた私たちは、イエス様の十字架によって、価無しに罪が赦され、神様の御前に「義」とされました。赦すことは、「福音」の本質です。「主の祈り」の1節。

  「身体のよみがえり」は、主イエス様が再臨される時、「奥義」として、「朽ちない体に変えられます」(Tコリント15:51、52)。 まず、「主にあって死んだ者が、生きているわたしたちに先立ってよみがえり」ます。(Tテサロニケ4:14、15) その新しい身体で、「千年王国」、「新天新地」を永遠に過ごすことになります。
  そのとき、「完全なものが現れたら、不完全なものはすたれます」(Tコリント13:10 *)が成就します。なぜなら、新しい朽ちない身体で、病などは存在せず癒しは不要となり、再臨の救い主イエス様と相対しているので 預言も、知恵、知識、見分けさえも必要なくなるからです。(* 「完全なもの」を「聖書」ととる”反カリスマ的曲解”には要注意!)
  → * Tコリント13:10 ・・・ KJV(欽定訳)の脚注によっても Tヨハネ3:2が導かれている
     * Textus Receptus 訳 「完全なものが来るとき、部分的なものは廃れます。」、  (新・文語訳) 「全きのきたらん時」



  10: 「永遠のいのち」。これは、よみがえりの新しい身体で、主イエス様とともに永遠のときを過ごします。天国は決して退屈なところではなく(退屈とは”死”の一つの形態です)、いつも聖霊様のウイット(=witness、あかし、証言)に富み、(主は「創造主」なので、)常に新しい喜びと楽しみが創造され、これが永遠まで続きます。 ・・・ 「あなたの御前には喜びが満ちあふれ、あなたの右には楽しみがとこしえにある。」(詩篇16:11)
  「アーメン」とは、「絶対そのとおりになる」という非常に強い意味です。



     (日々の祈りの例)   ・・・・・  もちろん他に、幕屋の祈り、主の祈り、ヤベツの祈りなどがあります。



  基本的な流れは、 「罪の悔い改め」に始まる祈り → 「十字架と復活の流れ」 → 「聖霊」 と 「みことば」 +願いの祈り、霊の戦い → (最後に)「主の祈り」 です  (これで大体1時間)



  罪の悔い改め: 弱さの罪(思いつくままに口で告白して、十分に悔い改める)、家系の罪、国家の罪(キリシタンを迫害した罪、クリスチャンを迫害した罪、牧師の妥協の罪、偶像崇拝・霊的姦淫の罪)など

  十字架: イエス様の十字架の贖い、痛み・苦しみ・はずかしめを感謝します、血潮を感謝します、渇きを感謝します、十字架上で罪の贖いを「完了」してくださったことを感謝します
  十字架の前の、打ち傷によって癒されたことを感謝、懲らしめによって平安を下さったことを感謝、 イエス様の貧しいご生涯によって 私たちを無限に富む者としてくださったことを感謝
  十字架の死: 永遠のいのち、永遠に神の子たる身分を下さったことを感謝

  死後、よみに下られ、そこでみことばを宣言され、三日目によみがえられたことを感謝します
  復活: 御子イエス様の復活を感謝します、御子イエス様の 十字架と 復活に、復活の 主の本質的な力に、あずかっていることを感謝します。
   御子イエス様こそ、道であり、真理であり、いのちです。 いのちであり、よみがえりです。
   主は、「再創造主」、どこからでもスタートさせてくださる方です。 無から有を造られる方です。
  御子イエス様の 復活・昇天を感謝します

  聖霊: 聖霊様が無限に降って来られたことを感謝します。聖霊様こそ、愛と力と慎みの霊です。どうぞ私たちに臨在し、流れ、そして わざをなしてください。すべてを照らして、真理を明らかにしてください。

   私たちの生活、働きのすべてに臨在してください。 「召しと賜物とは変わることが無い。」 どうぞ私たちの召しと賜物が開かれ、互いに仕えあうことができますように。
   「権勢によらず、能力によらず、主の霊によって」、事がなされるように。
   (特に、フィラデルフィア教会として)兄弟愛の霊として臨んでください。

 (基本的な祈り) 1) 主の みこころを成し遂げたいという願いを起こしてください。そして、なんら問題なく主に従えますように。日々押していくことができますように、押すための力をお与えください。

         2) すべてのことを見分け、本当に良いもの、主からのものだけを選び続けていくことができますように。そうでないものは捨てていくことができますように。

         3) 神の国とその義とをまず第一に求め続けることができますように

 (一般的な祈り) (個別のテーマについて祈る)


  みことば: みことばの宣言と、イエスの名によって霊の戦い:

   「この天地は滅び去ります。しかし、主の言葉はとこしえに変わる事は無い」、「この御国の福音は全世界に宣べ伝わり、すべての国民にあかしされ、それから終わりの時が来ます。」

  (霊の戦い) ex) 高慢、ねたみ、作り話・うわさ話の霊を縛る、妥協・霊的姦淫の霊を縛る、 反キリスト・ニューエイジ・異端の霊を縛る、 反キリストの逆の祈り、逆のはかりごとが7倍になって突っ返されるように、

            地域の偶像・アニミズムの霊の縛り、 泥棒・詐欺・仏教の霊の縛り、  (その他、特に示された霊の縛り ・・・ 妄想の霊、マリアを語る霊など)

     「西の方からは主の御名が、日の昇るほうからは主の栄光が恐れられる。」 まさかの、この日本から、リバイバルすることを感謝します。
     「エルサレムが平和でありますように」 イスラエル、ひいては、アブラハムの子孫が平和であり、その領土が大いに拡大され、大繁栄しますように。
     「主のくびきは心地よい」 どうぞ用いてください。リバイバルにおいて、なすべき分を果たしていくことができますように。
     「主はわたしたちの羊飼い。私たちは乏しいことがありません。」「野の花、空の鳥」 主の主任牧会、直接牧会がなされ、聖霊様との親しい一対一の関係を強めてください。


  主の祈り: ( ・・・ 天のお父様は、祈る前からすべての必要をご存知、という前提ができて、ここで祈ります )

  世の終わり時のための備えの祈り: (もう一度)「試みにあわせず、悪しき者からお救い出しください。」

     「世の終わりのとき、すべての災いから逃れ、主の御前に立つことができますように」 「逃げるべきその日が、イスラエルの冬や 安息日になりませんように」
     「世の終わりのとき、フィラデルフィア教会として守ってください」
     「大鷲の翼を二つ感謝します。荒野で3年半養ってくださることを感謝します」 「主が来られるのが早められますように。マラナタ・イエシュア、救い主イエス様、どうぞ早めに来て下さい」





                   トップへ戻る